いきなりですが、自由という言葉は好きですか?
僕は大好きです。
当ブログ「お金の外来」も、ある意味では経済的自由への履歴だと言っても良いかもしれません。
さて先日、以下のようなツイートをしました。
若くして自由になるには傑出した人間になる必要があり、傑出するには何処かでリスクを取る必要がある。
つまり自由を得るには「不自由になるかもしれないリスク」を背負う必要がある、という意味で逆説的な性質を内包する。
これは人間心理に大きな負担であり、見えない参入障壁を築いている。
— Dr.ラス (@3n4rs) November 26, 2020
一言で言えば
自由を得るには失敗する可能性、不自由になる可能性を飲み込む必要があるよね
という話です。
当たり前ですね。
周りの人がリスクを取らないから、その道はまだ開拓されていなくて、旨味が多く、結果的に自由が待っているわけですから。

医師は「自由のジレンマ」を克服しやすい
自由を得るには、不自由になるリスクを受け入れなければならない。
なんて酷なジレンマなのでしょうか。
しかしながら、僕が思うに医師は「自由のジレンマ」を克服しやすい職業です。
医師免許があるからです。
仮に何か大きな挑戦をして失敗しても「ただの医師免許を持った人」にはなる事ができます。
絶対的な自由ではないかもしれませんが、それほど不自由極まりない職業でもありません。
むしろ、一般的なサラリーマンに比べれば自由である可能性が高いでしょう。

多くの医師は自由を望んでいない
自由という言葉は、甘美なイメージがあります。
しかし裏を返せば、自由とは自己責任であり、自己責任とは選択の連続です。
何かを選択する、というのは実はエネルギーが必要な事です。
疲れます。
なぜならば、どちらか一方を選択する時、どちらか一方の可能性を捨てなければならないからです。
その「選択」というアクションを、全て自己責任で連続的に行わなければならない「自由」は、なかなかにエネルギー消費の大きい存在でもあります。
その結果なのか、無意識的に自由を放棄している医師は結構多いです。
選択から逃げているわけです。
面倒臭いですし、エネルギーが必要ですから。

という医師は結構いると思います。
多くの医師は、実は自由なんて望んでいないのかもしれません。
医師の「自由」には年齢制限がある
そうなると、医師の「自由」には年齢制限がある事が、おわかりいただけるでしょうか。
自由と選択はセットであり、選択にはエネルギー消費が伴う。
選択に割く事ができるエネルギーは、個体差を除いてしまえば
- 年齢
- 人生のステージ
に依存するはずです。
年齢が上がれば、当然総エネルギー量が減るので、選択に割けるエネルギー量も減ります。
人生のステージが上がれば、仕事以外にエネルギーを割り振らなければならない事が、どうしても増えます。
具体的には
- 結婚
- 出産
- 育児
- 介護
などです。
若くてエネルギー量が多く、仕事に多くのエネルギーを割けるうちに「自由」へのアクションを開始してリソースを割いておかなければ、苦しくなる一方かもしれません。
それを、医師の「自由」には年齢制限がある、と表現しました。
とはいえ、例えば「個体値がすごい高い人」は、年齢や人生のステージが上がっても、自由のジレンマや自由に伴う選択の壁を、軽々超える医師もいるでしょう。
一方で

と自由のジレンマ、自由に伴う選択の壁に阻まれてしまう医師もいるはず。
そういう意味では基本的に、医師の「自由」には年齢制限がある、と思って行動した方が良いでしょう。
医師の「自由」には年齢制限がある。
いつの時も人生で一番若いのは「今」です。