勤務医という存在は、それなりの給料をもらっています。
僕が医学部を卒業し初期研修医になり、初めて給料をもらった時、おそらく40万円くらいでした。
家賃や生活費を差し引いても、余裕で生活できる
この経済水準は高い確率でずっと維持できるし、むしろ給料はまだ高くなる
そう思うと、嬉しくなったのを覚えています。
勤務医は経済的自由から遠い
しかしながら、勤務医という存在は経済的自由から遠い存在です。
普通のサラリーマン、もしかしたらコンビニバイトの店員さんよりも遠いかもしれません。
それなりの給料をもらっていて、かつ安定して給料がもらえる職業なのに、なぜ経済的自由から遠いのでしょうか?
勤務医が経済的自由から遠い根本的な理由
勤務医が経済的自由から遠い理由は、シンプルです。
それは
- それなりの給料を安定してもらえてしまうから
です。
満足してしまうんです。安心してしまうんです。
毎月振り込まれる給与明細を見て


くらいしか思わないんです。僕の初期研修医時代のように。
経済、お金に対しての、貪欲さが足りない。
貪欲さを駆り立てるような環境にいない。
これが、勤務医が経済的自由から遠い根本的な理由です。
もしかしたら
- 親が裕福で経済への貪欲さが無い
- 経済へ貪欲である人間は医学部に来ない
という、バイアスがかかっている可能性はあります。
しかしながら、勤務医というぬるま湯の環境が、現実を甘んじて受け入れてしまうメンタリティを醸成しやすい、という事は間違いなくあると思います。
勤務医が経済的自由に近づくためのメンタリティ
勤務医が経済的自由に近づきたいと思ったら、まず必要なのは「強く願う事」です。
心の底から「経済的自由を達成したい」と思う事です。
胸に手を当てて、自分の心に質問してみて下さい。
- 自分は本当に経済的自由を達成したいのか?
- なぜ達成したいのか?
これらの質問に対して、シンプルに即答できるようにならなければ、勤務医が経済的自由に近づく事はできないでしょう。
僕が勤務医をしながら経済的自由を得たいと思った理由
僕の場合、勤務医をしながら経済的自由を達成したいと思ったのは
勤務医の仕事がクソつまんねえから
です。
初期研修でザッと全ての科をまわって見て、シンプルにそう感じました。なりたい科なんて見当たらないし、勤務医として何十年も働いている自分の未来が想像できませんでした。
そこで初めて、勤務医である僕は経済的自由を強く願うようになりました。
開業という選択肢もありましたが、業務形態は変わるものの医師として働いている事には変わりなく、10〜20年の長いスパンで考えねばならないため、やめました。若い頃に自由を得ることが重要だと思っていましたし、国に値段を決められるサービス業を、借入と雇用をした上で行うことへの違和感もありました。
結果、まずは株式投資を初めてました。しかしそれほど大成功はせず、それほどのめり込めませんでした。
次に、インターネット経由のマーケティングと、広告による収益化の事業を始めました。こちらはソコソコ成功して、どんどん面白くなり、勉強し、時間と労力を投入しました。
最初は月数万円の小さな収益でしたが、これが自分の投入した労力や時間とは無関係に収益が伸びて行って、10万、30万、50万と増えていく事に、喜びを感じました。アドレナリン出まくりです。
そして、前々から興味のあった不動産投資を勉強し、始めました。最初から地方1棟アパートをオーバーローンで購入するという、キャッシュフロー重視の投資手法でスタートしました。勝手に振り込まれる家賃収入と、勝手に進んでいく返済予定表を見て、楽しくなってきてしまいました。
僕はこの2つの事業を愛しています。
トイレでもこれらの事を考えていますし、本もよく読みます。思考と読書も含めると、投入している労力と時間は膨大になるかもしれません。
もう経済的自由が目の前に見えてきて、勤務医としての労働をセーブする方向に向かっています。
嫌いなものを排除し、周りを好きなものだけで固めて、時間もお金もそれなりにある状態に、少しずつ変換しています。大変幸せです。
ある意味「勤務医の労働への嫌悪」が燃料となり、経済的自由を熱望し今があるわけですが、あれは必要な燃料でした。
燃料の燃えやすさは、人によって異なると思います。
しかしながら、燃えない事には絶対に経済的自由への道は開けません。
勤務医が経済的自由に近づきたいと思ったら、まず必要なのは「強く願う事」です。
心の底から「経済的自由を達成したい」と思う事です。
現状維持でもまあいいか、くらいの気持ちを捨てて「あれも欲しいこれも欲しい、こうなりたい!」と強い欲望に身を置きましょう。
しかしながら、熱い欲望にまみれるだけではダメです。
熱い欲望と、冷静な戦略。確かな実行力。
これが必要です。